ベイエリア通信 #9  2000年7月18日

(この文章はアメリカに滞在していた2000年に向こうで書いて友人に送っていた通信です)
イランの12歳-ただしサンプル1名-
 サンフランシスコベイエリアは寒いです。昼間は暑い日も多いですが。ベイ(湾)のせいということで、朝晩は暖かい長袖が欠かせません。夏が寒いとは知らなかった。
 私が通っていたアダルトスクールのESLクラスは、今は夏休みで、先々週の木曜日にサマークォーターが終るので簡単なパーティがあった。それぞれの国の料理を持ち寄って、食べながら1,2時間歓談して、それではまたねになる。次のクォーターでまた会う人もいるし、この日を最後に会わない人もいる。家族なども一緒に来たりする。 
 今回はイランの人が多く、イラン文化圏オカズのコーナーができあがっていた。私はスパイスも大好きで、結構どこの国の料理でもおいしく食べてしまう。だが、もちろんハズレもある。イランの人が持ってきた白い液体があり、「それは何?」と聞いたら、「ヨーグルト」というのでそのつもりで口に入れたら、なんとしょっぱかった。もちろんちゃんとヨーグルトだった。
 アダルトスクールのパーティで食べた米料理で、今まで一番おいしかったのはブラジル人が作ってきた「チキンの炊き込みピラフ」だった。作り方を聞かなかったのが悔やまれる一品だった。同じくブラジル料理のコーンプティングもおいしかった。中華料理はやはり無難においしく、イランの米料理もおいしかった。アメリカ人の先生が持ってきたレモネードは甘かった。
 先回のパーティでイランから来た人の息子も来ていた。彼は12歳で、アメリカに来て7ヶ月か8ヶ月くらいで、当然母より英語が達者である。来る前には英語はあまり勉強してなかったということだが、私達より断然英語がうまい。彼の姉も前はここに来ていたが、今はカレッジへ行っている。
その彼との会話。
「どうしてアメリカに来たの?」
「僕達の教育のためだよ。」
「ほんとう?」
(他の理由があるのかないのかわからないが、彼はそう言った)
「大学へ行ってコンピューターの勉強をして、 Ph.D.(博士号)をとるんだ。」
「イランでも取れるでしょ?」
「とれるよ。だけどイランでとっても、それはイランでしか通用しないでしょ。
だけど、アメリカで取れば、世界中のどこに行っても使えるから。
例えば中国でもアメリカの資格だったら通用するよ。」
「・・・。」
(私は12歳でこんなことを考えているのかと、愕然としている)
 イランから来ている人は、イランはアメリカとは文化的に全く違うと言う。イランはイスラム教色が濃い国である。母も娘も頭に被り物をしている。同じモスリムでも、国によって宗教的な厳しさは違うらしい。けれども、被り物をしていない女性もいるので、個人差もかなりあるのだろう。
「イランとアメリカと何が一番違う?そうね、5つあげるとしたら何?」
「う~ん。まず、女の人が被り物をしてないでしょ。
アメリカはデモクラシーがあって、もっと自由がある。
イランの学校では男女が別れている。
小学校と大学では一緒だけど、あとは全て男子校、女子校になっている。
イランでは許可がないとインターネットが自由に使えない。
(これは後から訂正された。大学にネットワークでつながっていればインターネットは使える。
けれども、大学関係者とかでないと、やはりまだ自由に使える環境ではないらしい。)
えーっと、あとはね、アメリカではみんな犬とかネコを飼っているけど、
イランではほとんどみない。」
(確かにアメリカではペットを飼っている人が多い。イランではペットの習慣はあまりないらしい)
 その少年は目をキラキラさせながら、中国から来た人に中国のことを質問していた。中国にも興味があるらしく、歴史も知っていた。たまに、私達英語不達者外国人同士の会話の通訳もしてくれた。英語がへたな外国人同士の会話は、結構大変なのである。
 彼は12歳のとっても素直な少年で、つい日本人のことを考えた。12歳でこんな感じの子は、今の日本ではあまり見られない気もする。イランのような宗教的に戒律の厳しい国からアメリカなんかに来ると、本当にすべてが違うのだろうな。日本からアメリカに来るのとはわけが違うのだ。私は他にも1人息子の教育のためにアメリカに来たというイラン人に会っている。きっと、彼等はイランの金持ちなのだと思うけど、そういう理由もあるのだなと思った。
 アメリカに来る理由は人それぞれいろいろである。そんな人達が現在のアメリカを作ってきて、今も世界各地から移民が押し寄せている。それで、INSの電話はあきれるほど電話がつながらない、アメリカの中でもとってもとってもBUSYなラインになっているのである。
※注:なさけないことに、私はイランとイラクの区別がよくわかっていない。いつも間違えてしまう。実はここの通信も自信が無い。アラブ圏の人にすると、この2ヶ国は政治的、宗教的にもまったく違うので、間違うなんてとんでもない国らしいのだが、私にとってのイランとイラクは、日本で言えば島根と鳥取である(島根と鳥取の人ごめんなさい。けれどもあなたたちだって、東北・北陸・中部ははっきりわからんはずじゃっ)どっちがどっちなのかよくわかっていない。少年の出身国は、その2国の中で厳しくない方の国だ。
2002年からの追伸:
9・11以降、アメリカに住むアラブ人は、いろいろ大変な人も多いのだろう。ベイエリアはアメリカの中でも一番リベラルな地域なので、私の出合った彼らが無事過ごしているのを願うばかりだ。
<2011年後記>
これを書いた当時は、911以前なので、アメリカがイラクに侵攻してもいなかった。
また、中東が今のようになるなんて、誰にも想像できなかったことだと思う。
10年で世界はこんなにも変わるのだ。
またイランとイラクを鳥取と島根に置き換えるなんて、
現地の人たちに対して私の失礼にも程があったようです。
今、簡単に検索しただけでも、
民族そのものが違うのね。
本当に失礼な奴でした。ごめんなさい。
上記の彼はもう二十歳を過ぎている。
アメリカの大学に入学しているのだろうか?
もしくは他の国にいるのだろうか?
フェイスブックとかガンガン使いこなしている
若者になっているんだろうなあ。
元気かなあ。

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