「not always so -practicing the true sprit of Zen」最近読んでいる本です。著者はShunryu Suzuki(鈴木俊隆)。「Zen Mind,Beginner’s Mind」の著者です。アメリカで禅に興味のある人でしたら、ほとんどの人が知っている日本人で、後述の本は有名な本です。これは日本語訳(「禅へのいざない」)も出ています。鈴木俊隆はアメリカに渡り、サンフランシスコの近くにZEN Centerをつくり、禅を広めたお坊さんです。
things as it is, and accepting things as it is. ・・・・・・・・・・Whatever happens, wheather you think it is good or bad, study closely and see what you find out. This is the fundamantal attitude. Sometimes you will do things without much reason, like a child who draws pictures whether they are good or bad. If that is difficult for you, you are not actually ready to practice zazen. This is what it means surrender,even though you have nothing to surrnder. Without losing youeself by sticking to a particular rule or understandiing, keep finding yourself, moment after moment. This is the only thing for you to do.(「not always so」 よりほんの一部抜粋)私は自分の身を振り返り、いろいろな考えにとってもsticking(とらわれて)いる自分を発見したりするのです。もう、本当に「そうだよなあ」と思いつつ、そこから遠い自分を見つけます。ヨーガで言い換えると、「ただアサナをする」感じなのではないかと思います。私にとっては、この感覚はとても大切なことに感じます。目的を持たずに、そのときの自分をあるがままに感じることが、自分のからだの声を聴くことのように思います。例えば「このポーズは何だかきついような気がするけど美脚になるためにやらなくっちゃ!」と無理にがんばることは、その正反対のことになってしまいます。もちろん、ヨーガを始めるきっかけは何でも構いませんし、どんな動機があってもまったくオッケーです。けれども、もし始めるようなことがあれば、自分をジャッジメントせずにただやってみてください。自分をジャッジしないことは、そのときの自分を受け入れることです。股関節が固い自分を受け入れれば、その固い自分の中で感じられる何かがあると思います。固い人は固い人なりに、やわらかい人はやわらかい人なりに、ヨーガをやることに何ら変わりはありません。その人が動ける範囲で、ただ動くだけですから。「できる、できない」「開く、開かない」「手が届く、届かない」などにとらわれてしまうと、そこから先へはとても行きにくい。人との比較でなく今の自分を受け入れること。これ自体がヨーガの実践の一つです。実際、体を動かすことよりも難しいプラクティスですね。もちろん、書いている私も自分に言い聞かせているようなものです。さて、この本は最後まで読めるかな?