カテゴリー別アーカイブ: ベイエリア通信

ベイエリア通信 #8  2000年7月8日

(この文章は2000年のアメリカ滞在時に書いて、友人に送信していたものを再録したものです。)
ジャパンタウンでのカルチャーショック
 金曜日にサンフランシスコのジャパンタウンへ行きました。
 今回の目的は「紀伊國屋書店」。1人で行ったので、好きなだけゆっくりしてきました。久しぶりに本屋でくつろいで過ごし、本の背表紙が何の苦もなく読めることにあらためて感動してしまいました。目に入ってくる情報が、そのまま直接脳につながり、興味があるタイトルかどうか即座に判断し、手にとり、著者や内容をチェックすることができる。英語だとこの流れがギクシャクして、1冊にずいぶん時間がかかってしまうのです。
 サンフランシスコの紀伊國屋書店には洋書も揃っていて、特にアジア系の本が充実しています。けれども、居心地のよさで日本語の本を中心に見てしまいました。日本の本は割高なのですが、あまりのなつかしさでとうとう数冊買ってしまいました。ちなみに文庫本で定価400円の本が、$6で売られていました。
 買った本は英語の教材本と文庫本数冊です。単行本はあまりにも高かったのであきらめ、漫画は帰ってからのお楽しみにしました(とはいうものの、前に行った時に、実は「陰陽師」を買っていた)。私にとって、紀伊國屋書店はあまりにも危険過ぎる場所なのです。
 お昼も過ぎ、お腹もすいたので、ラーメンがおいしいと聞いたジャパンタウン内の小さな店に行きました。まずは入ってテーブルに座り、メニューを見て、醤油ラーメンを注文した後、何気なく日本の料理番組をやっているらしいテレビに目をやりました。
 そしたらなんと「ビストロスマップ」ではないですか!!!「うそ。スマスマ(smap×smap)だ。。。」即座に、「すみません、席替わります。」と言って、テーブルからカウンターに席を移り、テレビを見る体勢を整えました。混んでなくてよかった。本日のテーマはビビンバだったらしく、あまりにもおいしそうで、自分のラーメンがちょっと悲しくなりました。
 ちなみに私の醤油ラーメンは普通でした。この辺でラーメンを食べられるところは少ないそうなので、「うまい」ことになっているのでしょう。
 私は、「ケーブルテレビでスマスマをやっているのだろうか?」とほんの一瞬ケーブルテレビの加入が頭をよぎったりもしました(もちろん、お金がかかるのでそんなことはしないけど)。ラーメンを食べ終わってからも、コントやその他のコーナーを30分くらいボーっと見ていました。時に笑いながら。。。 
 一体、私はどこにいるんだろう状態です。店の中では日本人や日系の人が多く、日本語の会話が聞こえ、テレビではスマップが映り、隣のおじさんは鯖の塩焼き定食を食べている(私もそっちにすればよかった)。しばらく見ていたところ、コマ-シャルが入らないので、ケーブルにしてはおかしいなあと思い、お姉さんに尋ねたら、なんと「隣のレンタルビデオショップから借りてくるんです。」だって!
 私がその店を出た後に、即ビデオショップに入ったのは、言うまでもないでしょう。おおー「スマスマ」ビデオがズラーッと並んでいるではないですか。私が見たのは一番最近の録画(7月第1週)みたいでした。その他にも、日本のテレビ番組のビデオが、バラエティからドラマ、NHK特集まで、もちろん日本映画もいろいろありました。
 この店はジャパンタウン内の日本人向けの店です。私がサンフランシスコに住んでいれば、スマスマを毎週少し遅れてビデオで見ることができるのでした。残念ながら、ビデオを借りて、またすぐにジャパンタウンに返しに行く気力はないので、何も借りませんでした(借りたと思いました?そんなのを借りてしまうとずーっと見ていて、他のことができなくなって、あまりにも危険すぎるのです)。いやあこんな状態だったのね、サンフランシスコは。オークランドとは違っていました。こんなに日本に囲まれて暮らすことも可能なのでした。逆カルチャーショックじゃっ!
 ビデオショップを後にして、向かいのお饅頭を売っている「勉強堂」(どういうつもりでつけた名前なのだろう?)で、大福らしきものとアンパンを買い、バスに乗ってユニオンスクエア(サンフランシスコのショッピングエリアの中心部)で降りました。
 ユニオンスクエアではartフェアらしきものをやっていて、たくさんのアーティストが自分の絵や印刷物を販売してました。この辺では道を歩けばアーティストに当たるような状況です。わたしの知合いにもアーティストは大勢います。自分がアーティストと言えばアーティストだし、大学の理学部みたいな所を卒業すれば、サイエンティストです。言葉の使い方も日本と少し違うのかもしれません。ベイエリアではとても身近にアートがあるというか、なんだか気負いがない印象があります。
 バートに乗り、イーストベイに戻ってくると、高いビルがなくなり、空が広くなってなんだかホッとしました。
   
P.S. 
 その後、イーストベイにも日本のビデオショップを発見しました。

原発事故についての記事 & ベイエリア通信 #7  2000年7月4日

一日も早く事態が落ち着いて、被災地の方々が暖かいものを口に入れられますように。
ライフラインが一刻も早く復旧しますようにお祈りいたします。
原発の現在の状況の判断について、
ほぼ日刊イトイ新聞の記事、参考になると思います。
以下にリンクしておきます。
http://www.1101.com/darling_column/2011-03-17.html
自然界にも放射線はあるし、
レントゲン検査でも今までいっぱい受けているし、
原発から遠く離れている場合は、神経質になり過ぎないようにしたいです。
チェルノブイリとは全然違うと上記の記事にも書いてあります。
ほぼ日の震災関係の特集ページもいろいろ参考になります。
http://www.1101.com/20110311/index.html
寄付金に関しても情報が載っています。
(以下の文章は2000年、アメリカにいた頃に書いて友人に送っていたものです)
ESLクラス その1 料金の変遷
 今日はINDEPENDENCE Day(独立記念日)です。夜は花火(Fire Works)があちらこちらであがるそうです。
 “ESL”とは、“English as a Second Language”の略称で、ESLクラスといった場合、英語が第2外国語の人のための英語のクラスという意味になります。私は近くのAdult  SchoolのESLクラスに通っています。アダルトスクールは、大人のためのいろいろなクラスがあるPublicスクールで、私の通っているところは高校の校舎をそのまま利用しています。
 私はとにかく英語を勉強しなければということで、2月頃からそこへ通っています。1quarterは約2ヶ月半で、経費はRESIDENT(居住者)の場合$50ですが、NONRESIDENTだと$500もかかります。何と10倍です!私はTourist VisaなのでNONRESIDENTになります。RESIDENTの場合は、市が補助を出してくれるという説明でした。
 この料金は、アダルトスクールによって違います。隣町のアダルトスクールのESLクラスは全て無料だそうです。けれども、場所的に私には遠いので、そちらには行けません。クラスは月曜~木曜まであり、3時半から6時半が文法やreadingやidiomなどのクラス、6時半から7時半までが会話(月、火)と発音(水、木)のクラスがあります。途中もちろん休憩時間があります。
 日本の感覚で考えると、これで$500は高くはないと思います。それで、私は最初WinterQuarterが終る約10日前に行ったのですが、言われたままに$100を払いました。けれども$500は私にとっては安いお金ではないので、Spring Quarterが始まる時に、ダメ元で料金を相談したら、少しディスカウントしてくれました。それでも、やはり安くはなかったので、Summer Quarterを続けるかどうしようか考えていたら、先生のシンシアが「ケビン(学校のマネージャーのような立場にいる)に、もう一度相談したみたら」と言うし、トルコから来たクラスメイトも、向こうは生徒が欲しいのだから、きっとディスカウントするはず、絶対トライした方がいいと言うので、再ディスカウントにのぞみました。
 「ケビン、やっぱり私にとってはまだ高いので、もう少しディスカウントしてくれる?」「いくらだったら払えるの?」「$○○○…」「オーケィ、他の生徒には言わないようにね」と言われ、またディスカウントしてくれるではないですか!私としてはうれしいことでしたが、多少複雑な気分ではありました。「それじゃあ、何も言わなかったら、$500をずーっと払っていたわけで…。」日本の感覚からいうと、クラスの料金とかは値切る種類のお金でなく、ほとんどの人は大体言われたままを払っていると思います。でも、ここは日本でなく、相手は世界中から来ているまったく違う文化を持つ生徒を対象にしている人で、いろいろな状況が「あり」なのでした。そういう中にいると、日本人は言われたままお金を払う素直でおとなしい上客であることは、疑いようがありません。向こうも日本人はお金を持っていると思っていますしね。
 日本の物差しが当てはまらない一コマでした。ここでは日本の感覚で考えずに、まずは言ったり、やったりした方がオトクなことが多いようです。かくいう私も、ディスカウントはしましたけれど、まだまだしっかり日本人ですよ。
 先日、アンパンをアジアンマーケットで見つけ、車の中で「これだよ。うまいよぉー」と言いつつすぐに食べてしまいました。アンコは中華風のゴマアンでしたけど、十分にアンパンでした。
 -アンパンの伏線-  前にアンパンが食べたくて、自分でアンコをつくり、ハンバーガー用のパンに挟んでアンパンサンドらしきものを作ったが、何かが違うと自分で思ったことがあったのでありました。
(2011年後記)
10年前の話です。もう今は違うだろうと思います。
つらい状況が続いていますので、とりあえずいつも通りにアップしました。

ベイエリア通信 #6   2000年6月24日

(これは2000年のアメリカ滞在時に書いて、友人に送っていた通信です)
ファーマーズマーケット  
                   
 今回の文章は前に書いていたのですが、ビザのことや何やらで発信できませんでした。前半の部分は6月11日に書いたものです。
 日本はまだ梅雨ですか?こちらは先週の水曜日に観測史上最高の暑さを記録しました。日本の38℃くらい。その後は落ち着き、カリフォリニアらしいさわやかな陽気です。こちらはさわやかなので、ほとんどの家にエアコンはありません。夜は涼しく長袖が必要です。
 まず始めに前の通信で書いた部分の訂正です。昨日ファーマーズマーケットで買ったイチゴはおいしかったです。日本のイチゴより実がしっかりしていて、けっこういけました。
 ファーマーズマーケットは、この辺ではBerkeleyのマーケットが有名です。毎週火曜日と土曜日に違う場所で開いています。私は車を持っていないので、なかなか行けなかったのですが、昨日ドライブしてくれる人を見つけ、一緒に行ってきました。
 マーケットには野菜屋、果物屋、卵屋、ジュース屋、ナッツ屋、苗屋、インディアンスナックデリ屋、オリーブ屋、オリーブオイル屋とかいろいろな店があります。1件だけ漁師の魚屋さんもいました。そこで、こちらに来て初めて鮮魚(サーモン)を買いました。中でも目を引くのが果物で、今はプラムやピーチが出始め、チェリーやストロベリーなどもシーズンです。これからはメロンやスイカやブドウが出てくるそうです。果物も一軒がいろいろ売っているのではなく、プラム屋、チェリー屋とか専門屋が多いようです。加えて、ここのマーケットはほとんどの店がオーガニックです。
 日本の「市」と違うことは、売っている人達が若い(20代~40代が中心)ことです。というよりも「おばちゃん」じゃないと言った方が正しいかも。おばちゃんがほとんどいない変わりに、髪の毛が紫色の姉さんや刺青している兄さんがいたりいます(この辺には刺青をしている人がたくさんいます。特にワンポイントで足首の辺りや腕にしている人をよく見かけます)。手ぬぐいの変わりにバンダナか?おばちゃんはあまりいないけど、おじさんはいますよ。
 明日から友人が来ることもあり、今日はつい買い過ぎました。私が買ったものは、以下の通りです。ストロベリー、プラム、モモ、ミニトマト、ジャガイモ(2種類:紫のイモと小さい種類のイモ-どちらも日本では見たことがなかった。この小さいイモがけっこうお気に入り)、スナックピー(鞘ごと食べる種類のもの。スナックインゲンでしたっけ?これは日本でも売っていますよね。こちらの人は生でかじるのだ。ニンジンもよく生でかじる。甘くておいしい)、タマネギ、ホウレンソウの若い葉っぱ(バラになっている-主にサラダ用だが何でも使える。ベビースピニッチです)、やはりサラダ用の葉っぱ(アルゴラ?少しくせのある味)、サーモン、バジルの苗、ビーツ(これは赤紫色のカブのような形の根菜。でもカブじゃない。火が通るのに少し時間がかかる。甘味がある独特の根菜。好きでない人も多いらしいですが、私は好きです)、キュウリ(太い。日本のキュウリが食べたい。日本食材店に行くと買えるらしい)、ズッキーニ、アボガド(友人がアボガドをカットして、そばつゆに入れて蕎麦を食べていました。これがけっこうイケル。日本ではアボガドは高いでしょうか?試してみる価値はありますぞ)、リンゴジュース(知人が作っている)、確かこんなところだったと思います。
 やはりスーパーよりも新鮮でうまい。オーガニックなのですごく安いということはないようですが、それもモノによる気がします。スーパーでは日本と同じように何でも1年中あるので(と言っても1年いたわけでないけれど、きっとそうでしょ)、何が季節ものだかわからない状況です。けれども、ファーマーズマーケットだと、日本のように四季がないカリフォルニアと言えど、やはり旬のものがあることがわかります。それから、見たことない葉っぱやいろいろな形のスクワッシュ(カボチャ)も売られています。どうやって食べるのだろうと思いつつ、大部分はまだ未開拓です。
 日本でもオーガニックのファーマーズマーケットがあるとよいと思いますが、新潟だとまだそこまで市場が発展していない気もします。ベイエリアでは、食べ物に結構気を使っている人も多いらしいのですが、アメリカ全体ではそうでもないよと友人は言っていました。やはり値段が高いですしね。ただしアメリカの場合、遺伝子操作されている野菜が何の表示もなく売られているらしいので、大型スーパーの野菜はちょっとこわいです。
 ここまで書いたのが約2週間前です。今日も行ってきました。今日はなんと自分で車を運転して行ってきました!実は友人の車を先週から借りていて、運転しているのです。Freewayにもちょっと乗りました。まだ緊張の日々です。とりあえず、ちゃんと右側走行をしています。
 ファーマーズマーケットは日によって店も多少変わり、今日はモモがたくさん売られていました。生の黄桃を初めて買いました(日本では缶詰しか見たことがない)。チェリーがもう今回で終りだそうです。悪くなるちょっと前の果物はおいしいです。
 今日持ってきたチラシによると、このマーケットはThe Ecology CenterというNPOが運営しているものでした。ウエッブサイトもありますので、興味があったらのぞいてみてください。
※どうしても書きたかった番外編(6月23日の話)
 昨日友人とランチを食べに日本食レストランにいきました。そこでの若い生粋日本人女性ウェイトレスと私の会話(日本語です)。
私 :「大根サラダと漬物盛り合わせと××をお願いします。それから、ごはんセット(ごはんと味噌汁)を両方にお願いします。」
若者:「大根サラダと漬物盛り合わせと××とごはんセットがふたつづつですね。」
私 :「??。ごはんセットはひとつづつです。2人分です。」
若者:「だから、ふたつづつですね。」
私 :「おかずはそれぞれ一皿で、ごはんはひとつづつです!」 
「おーい、大丈夫かあぁ」という気分でした。彼女は数的には理解していたのですが、日本語の使い方が間違っていて、自分が間違っていることに気づいていないのです。お互いに「何言っているの、こいつ」状態でした。これは初歩的な日本語だと思うのですが、20歳前後の日本人が使えないとは、トホホです。お姉さん、ごはんセットは4つもいらないの!
 そこはアメリカのレストランなのに、量が少なく高かったです。少し悲しかったので帰ってきてから、自分で大根サラダを作りました。チリメンジャコがなかったので、残り物のBulgur(小麦を蒸した後、乾燥させ、あらびきにしたもの、水を吸収させてから使用する。昨日使ったのはオリーブオイル、ニンニク、塩、ペッパー、レモンで味付けしてあったもの)を醤油と米酢とごま油と鰹節であえた千切り大根に混ぜました。家主のウラがうまいを連発してくれました。
<2011年の後記>
やっと、やっと確定申告の書類の作成が終わった・・・・・。
どんだけ紙を無駄にしたことか。
(裏紙として使うさ)
今日投函するぞ~~~~。

ベイエリア通信#5  2000年6月23日

(これは10年前にアメリカから友人に送っていた通信です)
延長申請 その後                   
 INSに滞在延長申請を送ったのが5月下旬、それから6月の上旬に「Notice of Action(Notice Type:Receipt Notice)」という書類がINSから送られてきました。記載されていた文章は以下のようでした。 「The above application or petition has been received. It usually takes 240 to 260 days from the date of this receipt for us to process this type of case.-----– We will send you a written notice as soon as we make a decision on this case. -----–」これは「書類を受け取り、審査中である」ということだと私は理解しました。
 しかし、「この場合240日から260日かかるということは、一体どういうこと?」という疑問が残りましたが、とりあえずレシート番号もあるし、電話番号も書いてあったので、後で聞けばいいやと、この手紙を受け取った6月上旬は考えていました。これが甘かった。
 その後、6月中旬になっても何の音沙汰もなく(みんながINSはとにかく遅いからといっているので)、上記の???もあり、少し不安になりはじめました。私の滞在期間は7月3日までとなっていて、飛行機の予約は7月2日でした。飛行機チケットは1年オープンなので、変更ができます。けれども、ギリギリで変更ができるのかどうかわかりませんでした。そこで、手紙に書いてある電話番号に電話をかけ始めたところ、まったくつながらないじゃないですか!「そんな馬鹿な…。」状態です。
 電話番号が書いてあるからと安心したのが間違いでした。Office Hourは月~金の9時から3時半で、9時にかけても、既に「すみません。ただいま回線がこみあっておりますので、後でおかけ直し下さい」というアナウンス。6月10日前後から時間を見つけてはかけていたのですが、全くつながらないのです。たまに「おっ、普通の音(プルルルル)が聞こえる」と思っても、すぐに録音テープになります。「これじゃあ、電話番号が書いてあっても、意味無いじゃないの!」という状態です。私も昼間はクラスがあったり、人の家の掃除をしていたりと、ウィークデーはゆっくり電話をかける時間が無い場合が多いので、毎日はかけられません。「おいおい、一体どうなるんだよー」と、内心かなり不安になっておりました。人に聞くと、弁護士を通すと早く処理されるなんて言われたりしましたが、そんなお金ないし。。。 友人が来たり、そんなこんなしているうちに、早6月下旬。
 そして、6月19日の昼時に、「おし、またかけるか。」とかけはじめ、TALK ON→REDIAL→TALK OFF→ TALK ON→REDIAL→TALK OFF→……のボタン操作を延々と繰り返すこと約30分(この30分は長い30分です)、そしてついに、ようやく、やっと(いくら言っても言い足りない気分)INS内部の録音テープにたどり着きました!録音の指示に従い、ボタンをセレクトし、「これでやっと…」と思ったのもつかの間、そこでも「ただいま、全ての回線がつながっています。担当者が次の対応をするまでに、約10分かかります。このまま待っているか、最初のメニューに戻りたい人は1のボタンを押してください」というアナウンスではないですか。私としては、このチャンスを逃しては、いつまたここまでたどり着けるかわからないので、絶対待ってやる気分だったのですが、本当はスタジオの掃除に行かなければならなかったので、残り時間約40分の状態でした。10 分たっても何の変わりもありません。あまりの単調さに受話器を持ったまま横になり、睡魔に襲われておりましたが、数分おきに上記のアナウンスが流れるので、それで「おっと、やばい」と我に返る状態でした。
 
 その状態で、約30分くらい待ったように思います。そして、かなりうとうとしかけていた頃、とうとう生声が受話器から聞こえてきました。最初は信じられず(その頃は、もうほとんど期待してなかった)、あたふたしながら、まず私の住所が違っていたので訂正し、次に本題に入りました。私の延長申請は認められるのか?とたずねると、この手紙(レシート)を受け取っていれば大丈夫、もう6ヶ月滞在できると言われ、本当に大丈夫なのか?この240日とかいうのは、一体何なのか?というと、ちょっと待っててと言われ、また待たされた後で、それは気にしないでいいと言われ(じゃあ一体あれは何だったんだよー!)、それでも本当に大丈夫なのねとしつこく、しつこく確認しました。
 結論を言うと、私の延長申請は受理され(やったぁー)、6ヶ月の延長が許可されました。ただし、延長申請は1回しか出来ないということなので、私は12 月に日本に戻り、また入国することになります。とりあえず、大きな気がかりがなくなり、「ふーっ」と胸をなでおろすことができました。ギリギリでした。このビザや滞在に関する問題は、アメリカに滞在している外国人の一番ストレスになる事柄でしょう。
 それにしても、あの電話のかからなさは、ひどいとしかいいようがありません。回線がつながってからも、あれ程待たされるとは思いもかけませんでした。アメリカ中から、一体どのくらいの人達が、電話をかけているのでしょうか?
 
 というわけで、年末まではこちらにいることになりました。いろいろと勉強になりました。日本で渡米の準備をしていたときに、ガイドブックなどを調べ、いろいろ懸念していましたが、「実際に来てやってみなければわからんな」というのが今の感想です。ガイドブックにはB2ビザ(観光ビザ)で延長申請は認められないことが多いと書いてありました。でも、受理されましたし。こちらで、「よくB2ビザ(観光ビザ)がとれたね」とも言われましたが、私が思うに、それは「これでもかーっ」てなくらいに書類を用意したことが一つの要因のような気がします。今回の延長申請も、パスポートのコピー、ビザのコピーなどは用意する中に入っていませんでしたが入れましたし、相手に有無を言わせない状況をつくることが、この結果につながったように思います。そのためにいろいろな人にお世話にもなりました。
 やる前からいろいろ懸念しても何がどうなるわけでもないし(実際私はずいぶんいろいろ悩んでいましたけどね)、いろいろな雑誌や情報は参考程度にしておいて、とにかく自分でやってみなければ結果はわからんのです。きっと、なんでもそうですよね。あたって砕けないように出来る限りの準備は必要ですが、あたる前からあれこれ心配してもしょうがない。結構、その心配は無駄になることが多いです。それだったら、心配しない方がいいですよね。
(2011年の後記)
そういえばあの頃は大変だった・・・。
今現在は確定申告が・・・。
さて、領収書も整理したし、
入力にとりかかるぞ~と思ったら、
昨年パソコンを変えたせいで、
今までのソフトが使えなくなっていた。
んなバカな・・・。
予定をチョー押しております・・・。

ベイエリア通信#4  2000年6月5日 

(10年前に友人たちに送っていた通信です) 
Who is she? SHEは誰ですか?             
 アメリカに来て3ヶ月たつ。「3ヶ月我慢すれば、会話は結構わかるようになるよ。」というある友人の言葉を信じていたわけではなかったが、やはり私の場合には当てはまらなかった。「わからん」というのが、正直な感想である。キャプション(英語の字幕を表示する機械)をつけたテレビでビデオを見ても、まだ「わからん」。特にネイティブ同士で話している会話についていけない。
 その大きな理由の一つに主語の問題があることがわかった。日本語の場合、会話の中では「彼」「彼女」とはあまり言わずに、その人の名前を入れながら会話をすることが多い。ところが英語では最初に固有名詞を言ったら、その後はすぐSHEやHEになってしまうのだ。一般会話では固有名詞を繰り返すことはあまりない。だから最初にその名前を聞きそこなうと、「一体誰のことを話しているの?」ということになり、ちんぷんかんぷんになる。
 言葉を正確にキャッチしにくい私の場合、会話のスピード以外に、会話の主語がすぐ代名詞に変わってしまうのが、さらに英会話を理解しにくくしていることが判明した。日本語はあまり代名詞を使わない言葉だったのね。「それ」とか「あれ」とかはよく使いますけどね。それで通じてしまうことが多い日本語もすごいけれど。もちろん使う人同士のとの関係性によりますが。
 ここまでのほとんどの文章は3ヶ月目に書きました。ここからは5ヶ月たった現在の状態ですが、基本的な状況は変わっていません。昨日、ビデオで英語のキャプションつきで「STRAIGHT STORY」を見ました。その中で、主人公のじいさんと他のじいさんがBARで会話する場面があります。最初見たときは、何を話しているのかわからず、2,3回リピートしてわからない単語をいくつか辞書に調べて、やっと戦争の話をしていたことがわかりました。こんな状態です。日本語でどういうサブタイトルがついているのか見てみたいです。
 本当にこんなに英語ができないでよく来たなあと、ほとほと感心したりもします。がんばって電話をかけたりしても、先日は「あなたが何を言っているのか、ぜんぜんわからないわ。ちょっと待って、他の人と変わるから。」と言われたし、私がまったく聞き取れないこともあります。けれども、この辺のアメリカ人は、外国人の変な英語に慣れている人も多いので、結構わかってくれたりもします。
 しかしいくら私ががんばっても、決して英語で日本語のように表現できるようにはなりません。逆に一体私はどのくらいの日本語の語彙があるのかなあなどと思ったりもします。実際に自分で使う語彙は限られているものの、本などを読むときに理解できるものを含めると、やはリ相当数の言葉が入っているのだと感心します。年々忘れていますけどね。小学校、中学校での毎日のような漢字テストは、私には楽しいものでは決してありませんでした。しかしあのくらいやって、どうにか普通に本が読めるくらいなのですから、日本語も大した言葉なんですね。
(2011年の後記)
あれから10年。私の英語はもう錆びれる一方だ。
だけど、もともと砥いでなかったようなものだから、
そんなに変わらないと言えば変わらないのかもしれない・・・。

ベイエリア通信#3 2000年5月30日

(10年前にアメリカで書き、友人に送っていた通信です)
噂のINSに行ってきました                
 私の住んでいる所はPiedmontという小さな街です。ここは丘に位置し、金持ちが住んでいる街ですが(高いところに住んでいる人ほど高所得なのだ)、私の所はその裾野部分で、Oaklandという新潟市くらいの人口がある比較的大きな都市に接しています。
 人口はほぼ50万ってところです。OaklandやBerkeley(その昔のヒッピームーブメントの中心地。UC  Berkeleyがある所)が主に私の行動範囲です。サンフランシスコ(SF)を中心として、これらのサンフランシスコ湾周辺一体はBay Areaと呼ばれていて、OaklandやBerkeleyなどのEast Bayの人はSFをCityと呼んでいます。SFは”街”なんですね。確かに BART(公共交通の電車)の駅の階段を上がり地上に出ると、いきなりビルがそびえたっていたりして(駅にもよりますが)、East Bayとはずいぶん雰囲気が違います。
 
 ここからが本題です。5月26日にSFのImmigration and Naturalization Service(日本語にすると移民局でしょうか、普通INSと呼ばれている)に行ってきました。INSへ行った理由は、私の滞在期間の延長申請をするためです。私のビザは観光ビザ(B2)という種類で、ビザの有効期限は5年間です。
 ところが、ここがまぎらわしいところなのですが、現在許可されている滞在期間は6ヶ月間で7月3日までなのです。普通アメリカ合衆国に入るには、3ヶ月以内であればビザは必要ありません。しかし、ビザ無しで入国した場合、こちらでビザを取得したり、延長したりはできません。私の場合は、ビザを持っているので延長できる可能性があるのです。簡単に言えば、ビザの発行を決定する政府機関と、アメリカでの滞在期間を決定する政府機関は違うのです。管轄部署が同じでないので、ややこしくなっているわけです。
 そろそろ延長の申請をしようかなあと思い、INSのウエッブサイトでチェックしたところ、延長申請は少なくとも期限の45日前までした方がよいと書いてあるではありませんか!それを見た時点の私の残っている期間は40日を切っていました。「しまったあ~」状態で、ヨガのスタジオの人にレターを書いてもらい、作文したものを英語のクラスの先生にチェックしてもらい、あせって準備をしたのでありました。
 そこでは延長申請はローカルオフィスへ行きなさいと明記してあったので、デンマークからの移民である大家さんに進められたように朝早く起き(なぜなら移民局はとんでもなく混むらしい)、6時ちょい過ぎに家を出て、自転車に乗って駅まで行き、BARTに乗り、移民局に着いたのは朝の7時15分でした。
 まずは入口で空港のように荷物と身体チェックがあり(おおー、ちょっと緊張)、もう10人程が並んでいる列に並び、受付を待ちました。オープンは朝7時からなのに、既にフロアーの長椅子には人がたくさん座っていて、静かな安らぎ系のBGMが流れていました。日本で言えば病院の受付のロビーみたいな雰囲気です。思っていたよりもきれいなところでした(いろいろ聞いていたので、実はなんだかすごいところを想像していた)。
 やっと自分の番が来て、滞在延長申請にきたと伝えると、その申請はここではできない、全て郵送になったので、この住所に送りなさいとタカビーなアジア系アメリカンの兄ちゃんが無愛想に言うではありませんか。「だって、インターネットでここに来いと言ってたじゃない」とプリントアウトを見せてくいさがると、その部分に無造作に大きく赤で×印を書かれ、システムが変わったから、これは忘れろとまた無愛想に言うではないか。「おいおい政府期間なんだから、しっかりサイトも修正しろよ~。」と英語で言えないので、しかたなく心の中でブーブー言ってました。まったく役所ってのは、ブツブツ…。
 しかし、これ以上あがいてもどうにもならないので、その後コピーできる店を探し、書類をコピーし、封筒をもらい、郵便局へ行き、申請書類を出したのが9 時頃でした。その後、少しぶらぶらして、ふと「やばい、あれもコピーして入れた方がよかったかも…」と、あることを思いだしたのが11時頃。もうきっと郵便物はどこかへ運ばれている可能性が高いと思いつつ、あせりながら郵便局へ行ったら、まだオジさんの脇にちゃんとありました。ありがたかったけど、日本だったらもうなくなっていたかもね。その後、またコピーに行き、郵便局へ戻り、重くなった分だけ料金を足して無事(?)発送終了。
 私は無事に滞在延長ができるのでしょうか?申請料として$120も払いました。できない場合とりあえず日本へ帰ります。いつ頃わかるのかもわからない不安定な状況です。もっと早くに調べておくべきでした。皆さん、こういう場合は私のようにあせらないよう早め早めに手を打ちましょうね。
 結局サンフランシスコで本を買ったり、ランチを食べたり、コーヒーを飲んだり、消耗し散財した一日を過ごしたのでした。
 ランチはサラダバーでおいしかったです。いろいろな種類のおかず、野菜、果物等が並んでいて、自分で好きなものを好きなだけとって、重さで料金を払うシステムです。確か$4.75/Lb(約500g)くらいでした。私の場合、一皿にいろいろ少しずつとって$5.25程でした。てんぷらもありました(とらなかったけど)。人がどんなものを選ぶのか見るのは楽しいです。とっても太っていたお姉ちゃんは、ホウレンソウを一杯とっておりました(こちらではホウレンソウは生食用に、若い葉が一枚ずつバラになった状態でも売られている)。大体の人がTake outしていました。さすがにサンフランシスコはいろいろな店があるみたいです。実はCityに行ったのはこれでまだ4回目。
 私は非常にスリリングな6月を過ごすことになりました。ハハハ。エアチケットの変更もあるし。皆さんうまく申請手続きが進むよう、日本から念をアメリカに送って下さいませ。 
(2011年後記)
ビザに関しては今はもう違うシステムになっていると思う。これは10年前の話です。
だけど、食堂の風景はきっと変わっていないのでは・・・?

べイエリア通信#2  2000年5月27日

(10年前に書いた通信です)
アメリカで出会う日本                     
 先日、胸のところに「平和愛」という小さな文字が印刷されているTシャツを着ている若者とすれ違った。友人は「風」という文字が大きく胸の所に印刷されているTシャツを着ていた。「道」という文字を腕に刺青している人もいる。今日は「神は私の副操縦士」という、わけのわからない言葉が逆さ文字で印刷されているTシャツを見た。漢字がずいぶん流行っている。英語圏の人にしてみると、漢字には意味が無く、ちょっとしたARTに近い感覚なのだろう。
 それを見ながら、きっと日本人も英語圏の人が見たら恥ずかしい英語のデザイン服も着ているのだろうなと思った。お互いに隣の芝生がかっこよく見えるのね。でも地元の人が見たら、ちょっと恥ずかしかったり、おかしかったり、おもわず「う~ん」とうなったりしているのである。
 そういえば、ここら辺では「禅」も流行っているらしく、「ZEN」っぽい商品もよく見かける。ミニチュア石庭や電気で水を循環させる石の置き物(水音がする)などが売られている。大きな緑のキャンドルに「竹」という文字が書かれていたりもする。こんなの誰が使うんじゃいと思ってたら、友人宅にしっかりあった。
 ヨガ関係グッズの通信販売のカタログにはおしゃれな「ござ」が載っていた。これには、使い方に決まりは無いなあと感心した。今の日本の若者はおそらく「ござ」を古臭いもののように感じられると思うが、こちらではCool(カッコイイ)な商品なのだ。
 日本人は基本的に伝統に絡め取られているので、自然にものの使い方のルールを学び、使っているように思う。そこには、何か言葉があるわけではないけれど、いわゆる暗黙の了解がある。もちろん幼いうちに大人から注意されつつではありますが。ところが、アメリカには外から来たものに関して伝統がないので、使い方にルールがない。その分自由にものを使っている。どちらがいいという話ではないが、発想の違いに驚くことは多い。
 ヨガ関係の友人で「畳」が好きな人が数人いる。値段を聞いたら2枚で$300くらい。高いような気がするが、自分で畳を買ったことがないのでわからない。皆さん畳の値段わかりますか?その友人に、私の部屋は全部畳だったと話したら、目を輝かせてうらやましいそうな顔をしていた。日本では和室が少なくなってきているが、アメリカのBay Area(アメリカの特にこのサンフランシスコ周辺)では畳やござが好きな人が増えているようだ。和紙もランプシェードにかっこよく使われている。また日本の湯呑を愛用している人もいる。とってもプリティらしい。アメリカの普通のマグカップは大きい。日本の商品は結構人気があるようだ。
 だがしかし、できたら畳の上には土足で上がらないでほしい(某友人宅)。ちなみに私の周りのアメリカ人は家の中では靴を脱ぐ人が多い。でも、別に靴を履いていてもOKなのだ(その家にもよるけれど)。
注意:私の知っているアメリカ人は、アメリカ人のほんの一部なので、もちろん全てのアメリカ人には当てはまりません。
<2011年2月10日の後記>
今も変な感じのTシャツやらありますよね~。
2000年当時は流行り始めだったのかな?

昔の日記(ベイエリア通信 #1)

2000年にアメリカ西海岸サンフランシスコ界隈のベイエリアに1年間住んでいた。
その頃に友人向けにメールで当時感じたことなどを通信を時々送っていた。
ちょうど10年前の話だ。
昔のホームページに掲載していたのだけど、
そのサイトは今は使っていない。
ふと気が向いたので、このブログに再録することにした。
今だったら、同じ状況にあっても、
書くことが変わるかもしれない。
アメリカの状況も9.11前の話なので、
変わった部分もあるだろう。
私の思い込みもずいぶんあると思う。
なにぶん10年前のことなので、
その点はご容赦を!
1週間に一度くらい更新する予定。全部で20通くらい。
友人たちには楽しんでもらえたようだった。
ベイエリア通信♯1   2000年5月18日
BUENA VISTA SOCIAL CLUB 
 
「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」(ブエナ ビスタ ソーシャル クラブ)をビデオで見ました。日本でも一部で話題になっているらしいので、聞いたことがあるかもしれないですね。キューバ音楽の、あるグループのドキュメンタリーフイルムです。私はこちらに来て知りました。アメリカでは昨年かなり話題になった作品らしいです。
「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」とは、キューバのハバナに昔あったクラブの名前らしいです(この“らしい”というのが少し悲しい。英語の字幕なので、全部理解しているわけでないのです)。ライ・クーダーというギタリストが何かのいきさつでこのクラブで演奏していた人達を再結成させ、レコーディングし、アルバムをつくりました。なにがすごいのかと言うと、メンバーの多くは、90代、80代、70代、60代の高齢のおじい様たちなのだ!彼らは10年ほど演奏をしていなかったのですが、このレコーディングがきっかけとなり、アルバムがかなり売れて、ニューヨークのカーネーギーホールでも演奏をしています。友人の話では、昨年ロスかサンフランシスコでもコンサートがあり、発売後10分でチケットがSOLD OUTしたらしいです。そのコンサートがメンバーが全員揃う多分最後のコンサートだろうという話です。
この高齢じいさんグループがとてもいい味を出していて、キュートでカッコイイ。みんな音楽がとっても好きなのねということが、フイルムからにじみ出ています。でも、本当に年を感じさせないのだ。顔はしわだらけだったりするけど、演奏しているときはとても生き生きしている。ずーっとキューバで歌われてきた歌は、彼らの体にしみついているらしく、日本のミュージックシーンのような既製品でない印象を受けました。何となくしみいる音楽です。キューバ音楽にわたしはなじみがなかったのですが、アメリカではそれなりに浸透しているみたいです。
キューバとアメリカの関係は、今年こちらで延々と騒がれていたエリアン君事件に代表されるように、かなり複雑なものらしく、日本から来たばかりの外国人の私はいまだに把握できないのですが、ニューヨークに来たメンバーの一人のじい様が、「ここに来ることを夢見ていた。やっと夢がかなった。。。」というくだりは、この2国間の関係を少し垣間見たような気がしました。日本人がこの映画を見るのと、アメリカ人が見るのでは、音楽を超えた部分では少し意味が違ってくるように思えます。
機会があったらぜひご覧下さい。キューバの風景も味わえます。キューバの親父達からきっとパワーをもらえるぞ!
話は変わりますが、昨日バスに乗っていたら、黒人の親父が赤い地にペンギン模様のサスペンダーをしていたので、心の中でおおーっと感動しました。ペンギン模様のサスペンダーをつけるのに年齢は関係無いぞ!
< アメリカで出会った料理☆豆腐のデザート>
 
絹ごし豆腐、イチゴ、アーモンド、メープルシロップ、バニラエッセンスをミキサーにかけ、洒落たカップに入れ(今回はワイングラス)、ミントを飾る。友人宅に呼ばれたときに出されたデザートです。豆腐をこんな風に使う発想は日本人にはないなあというものでした。味もまあまあです。イチゴを多くしたり、工夫をしてみてください。
けれでも、日本のイチゴの場合、おいしいイチゴは生で食べたほうがいいね。日本のイチゴのような甘いストロベリーには未だにお目にかかってません。こちらの人が日本のイチゴを食べたら、かなり感動するのではないだろうか?ちょっとハズレのイチゴで試してみてください。
果樹と言えば、リンゴのフジも普通に売られていますが、日本のように蜜がつまっているフジにはお目にかかれません。日本の果樹は相当に品種改良され、研究されているのだと感じます。その代わり、オレンジやマンゴーとかはおいしいですよ。