(この文章はアメリカ西海岸に滞在していた2000年に友人に書いて送っていたものです)
知らない人との会話、挨拶の風景
いつもこれは日本とは違うよなあと思う光景がある。
例えばスーパーのレジで並んでいると、客とレジスターのオジさん、オバさん、兄さん、姉さんが、レジを打ちながら親しそうに世間話をしている。あなたたちは前から知り合いかい?と思うが、無論そんなことはない。
スーパーで、ある食品を手に取り、買おうかどうしようか思っていると、通りがかりの人が「私もそれ買ったことあるけど、おいしかったわよ」と声をかけていく。パン屋でパンを手に取っていると、隣の人が「それ食べたことある?おいしかった?」と聞いてくる。私の友人も、店で近くにいた人に、何かを聞いて話していた。
もちろん、私はレジの人と世間話をしたことはないし、正確に言うとできないし、全ての人が世間話をしているわけでも、いつも話しかけられるわけでも、もちろんない。けれども、平均すると確実に日本人よりもこの辺のアメリカ人はその辺の人によく声をかける。
こちらでの挨拶は”Hi!” から始まり、“Have you been?” ”How’s going?”“How are you?” ”What’s going on?”など必ず言われるので、何か答えたり、“Good “とか”It’s OK “とかと答える。ちなみに後者はGoodよりも少し落ちた感じになる。例えば人にあそこのレストランはどうだったとたずね、”It’s OK “と言われたら、悪くもないが、良くもなかったという意味だ。レジでも”How are you?”と言われるので、大体”Good “という。ほとんどの人はこう言っている。この場合”Good”でなくても、”Good”と言う。
これは英語の挨拶で、ほとんど意味はないとわかっているけど、ともすると私にはめんどくさい挨拶になる。日本では一言もかわさないで買い物することさえ多いのに。逆に日本に来たアメリカ人にすれば、日本の光景もずいぶん不思議に映っているのだろう。一言も交わさないのは、きっと不気味に見えているかも。
同じ家に住んでいる住人からも、家の中で会うと、必ず“Have you been?”“How’s going?”とか言われる。日本では「おはよう」とか「こんにちは」で終る場面である。そして、ちょっとした会話をしたりするのだけれど、実際には彼女らにとって私がその日何をしていたかに興味はないと思う。興味が無いことをなぜ訪ねるかと言えば、これは英語のソーシャルな挨拶で、多分こう言うことは、相手に対する一応の礼儀になっている気がする。慣れないとめんどくさい習慣で、興味が無かったら聞かないで良いのにと思うけど、そういうものではないらしい。私も最近は聞かれたら、聞き返すように心がけている。けれども実際にはよく忘れてしまい、聞かれっぱなしになることが多い。
このような形のコミュニケーションが発達した背景には、もちろん文化的なバックグラウンドがあるはずだ。他の国の挨拶はどういう形なのだろうか?日本の挨拶はかなりシンプルな部類に入るような気がする。きちんと考えるとおもしろい話題だと思う。
想像するに、日本人は余計な会話をしなくとも許される環境にあるのかもしれない。それだけある種日本人に共通する暗黙の了解や信号が、既に社会のあちこちに組み込まれているのだ。それに甘えている部分も多く、いいとも悪いとも言えないけれど。
しかし、ほんの200年の歴史しかない移民の国である現在のアメリカ合衆国では、アメリカ人全体に共通する暗黙の了解の成立はかなり難しい。そうすると、言葉によるコミュニケーションが重要になってくる。多くの日本人にとっては、全てを言葉で説明することを要求される文化は結構めんどくさいと思う。逆に考えれば、全て言葉できちんと説明されるのでわかりやすいとも言えるが、悲しいことに英語がわからないと、わかりやすくない。トホホ。。。
挨拶と言えば、あまり “Good afternoon” 、“Good evening”とかは聞かないなあ。”Good morning” は家の中とかでは聞くけど、外で会った場合、”Hi,Eiko”と言われることの方が多い。この辺では”Hi!”が基本である。
<学校で習わなかった重要アメリカ英語>
「おいしい」という場合、よく使われる英語にYummy(ヤミィ)がある。もともと幼児語だったが、大人もよく使っている。ただし、公式の場とか男性はあまり使わないかもしれないので注意。私の周りではtastyとかdeliciousよりもよく聞く。しかし、私の持っている和英辞書には載っていない。”It’s yummy!”日常最重要必須表現?だ。 そうそう、最近この辺も夏らしくなり、夜ビールなどを飲みたい気分にもなります。夜は寒くなく涼しいです。でもやはり朝は肌寒かったりします。
※ 後日談
日本へ帰ってきて、買い物に行くと、何だか物足りなく感じてしまうようになった。アメリカでは、どこに勤めていようとも、いい面も悪い面も含めて従業員はパーソナルな部分で接客している。しかし、日本では営業用の顔か無関心かで、その人の顔はとても見えにくい。ちょっと寂しい気分になったりする今日この頃である。
カナダのバンクーバーで本屋に行った時のこと、私は「Reason For Hope」というタイトルの本を探していた。カウンターで尋ねたところ、私の発音がわかりにくかったらしく、悪いが書いてくれとにいちゃんから言われた。書いたら、著者名を言わないでも、ああその本ねとすぐにわかってくれた。
そして、その後、「Rの音は難しいんだよね。僕がいい方法を教えるからちょっと待ってて。」と言われ、私がESLのクラスで何回となくビデオで見たことのあるRとLの時の口の形をそのへんにあった紙の裏に書き、発音指導をしてくれた。彼は過去に中国人に教えたことがあるらしい。一年もいて、未だにLとRの発音がうまくできない私も私だが、本屋で発音指導を受けたのは、これが初めてだった。まあ、忙しくなかったといえ、ちょっと感動した。にいちゃん、ありがとう!
<2011年の後記>
私の英語は元々大したことなかったのだけれど、
ほとんど使っていない現在は、完全に錆付きました・・・。
ベイエリア通信 #11 2000年8月5日
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