カテゴリー別アーカイブ: Books

たまたま

時間があったので、本屋さんに入り、つらつらと背表紙を眺め、タイトルに引かれたものを手に取り、少し読んでみて買った本に最近はまった。

須賀敦子という名前も初めて聞いた。白水Uブックスという新書で、須賀敦子コレクションとして5冊発行されている。

既に故人となっているらしい筆者は、イタリアとの縁が深い。

私はイタリアには言ったことがないけれど、彼女の本を読んでいると、当時の土地や時代の息遣いが感じられる。筆者および周りの人々がそこに生きている。

こーいう本、好きだなあ。読んでいると、そこに連れて行かれちゃう。イタリアに行ってみたくなった。

「ミラノ 霧の風景」の解説の大庭みな子さんは、「・・・須賀さんのミラノは旅行者の目に映るミラノではなく、その中に浮かび上がるものは、その中に生きた人の感性であり、人生であり、歌声でもあるので、読む人はそこからイタリアのすべてを何となく嗅ぎ取ることが出来るので、つぎつぎと読みつづけてゆく。」と締めくくっている。

そうそう、次々と読みたくなり、東京で1冊購入した後、新潟でも1冊買ってしまった。

考えるヨガ シャンバラ・ガイド

 昨日万代に出たついでに久々に紀伊国屋書店に寄った。ヨガ関係で見たい新刊本があった。近所の本屋には残念ながらなかった。先日、古町の萬松堂で見たときは正直びっくりした。著者のゲオルグって誰だろうと30秒ほど考えて、あっそうだと思い出した。あの、Georgだ。そのときは時間とお金がなかったので、買わなかったけれど、家に帰ってきて、アマゾンで検索した。もしからしたら、原書持ってそうだなあと思い、本棚を捜したらしっかりあった。最初のほうは読んだ形跡があるが、ぜんぜん読んでいないも同然かな。すぐ挫折したらしい。

 その本は「考えるヨガ シャンバラ・ガイド」ゲオルグ・フォイヤーシュタイン著で、英語名は「The Shambhala Guide to Yoga] 。このゲオルグさんは、ヨガの本をいっぱい出していて、アメリカではかなり有名な人だ。どちらかというと学者系。私のアメリカの友人たちは、彼の本は難しいと言っていた。英語が読めても、難しい本らしい。日本語でも難しい本っていっぱいある。

 アメリカにいたときに、通っていたスタジオで彼のワークショップというかお話を聞く機会があった。もともとのネイティブスピーカーでない分、話す英語のほうは、まだわかりやすかった印象がある。途中うとうとしたような気がするが、いい感じのおじさんだった。

 実は買ってきたばかりで、まだ読んでいないので感想は書けないけど、こういう本が日本でも翻訳されるようになるのはいいことなんだと思う。読みやすい本ではないし、ちょっと高いから図書館に買ってもらうのがいいかも。ヨーガの全体像をつかむためにはいい。

 紀伊国屋のヨガ関係の本があるコーナーで、1冊しかなかった上記の本をみつけ、手に取り移動しようとしたら、ある女性Aが来て他のヨガの本を手に取りみていた。雑誌のコーナーには、ヨガ特集だったブルータスのバックナンバー(前号)があった。きっと、売れたからバックナンバーあるんだなあと思って眺めていたら、ある女性Bが手にとって見ていた。ちょっとドキドキする。もちろん、話しかけたりはしないんだけど・・・。

 家に帰ってきたら、定期購読している「Yoga Journal」が届いていた。裏表紙をめくったページにアジアのヨガスタジオの広告が載っていた。日本だけでなくて、アジア全体で流行りつつあるらしい?ヨガジャーナルはしょうもないコマーシャルも多いけど、写真見ているのは結構楽しい。あまり英語は読んでいないけど・・・・。

かなり笑えた本

「オーケストラ楽器別人間学」 茂木大輔著 草思社

オーケストラにはまりついでに、本も少し読んだりしている。昨日図書館で借りて、今日読み終わった。著者はN響のオーボエ奏者で、文章がうまいかなりへんなっぽいオジサンである。

ファゴットは音がよくわからず、テューバは先日NHKの人間ドキュメントで初めて知ったというくらいに、楽器を知らない私も笑えた。やっている人は、もっと楽しいに違いない。特別付録の「楽器別適性判断クイズ」では、本当におじさんが書いている文章?と思えるほど「らしさ」が研究されていてニクイ。著者の想像力のたくましさと、オーケストラの世界を垣間見える楽しさでおすすめ本。軽く何かを読みたいときにとってもグー。

not always so -practicing the true sprit of Zen

not always so -practicing the true sprit of Zen」最近読んでいる本です。著者はShunryu Suzuki(鈴木俊隆)。「Zen Mind,Beginner’s Mind」の著者です。アメリカで禅に興味のある人でしたら、ほとんどの人が知っている日本人で、後述の本は有名な本です。これは日本語訳(「禅へのいざない」)も出ています。鈴木俊隆はアメリカに渡り、サンフランシスコの近くにZEN Centerをつくり、禅を広めたお坊さんです。

not always sothings as it is, and accepting things as it is. ・・・・・・・・・・Whatever happens, wheather you think it is good or bad, study closely and see what you find out. This is the fundamantal attitude. Sometimes you will do things without much reason, like a child who draws pictures whether they are good or bad. If that is difficult for you, you are not actually ready to practice zazen. This is what it means surrender,even though you have nothing to surrnder. Without losing youeself by sticking to a particular rule or understandiing, keep finding yourself, moment after moment. This is the only thing for you to do.(「not always so」 よりほんの一部抜粋)私は自分の身を振り返り、いろいろな考えにとってもsticking(とらわれて)いる自分を発見したりするのです。もう、本当に「そうだよなあ」と思いつつ、そこから遠い自分を見つけます。ヨーガで言い換えると、「ただアサナをする」感じなのではないかと思います。私にとっては、この感覚はとても大切なことに感じます。目的を持たずに、そのときの自分をあるがままに感じることが、自分のからだの声を聴くことのように思います。例えば「このポーズは何だかきついような気がするけど美脚になるためにやらなくっちゃ!」と無理にがんばることは、その正反対のことになってしまいます。もちろん、ヨーガを始めるきっかけは何でも構いませんし、どんな動機があってもまったくオッケーです。けれども、もし始めるようなことがあれば、自分をジャッジメントせずにただやってみてください。自分をジャッジしないことは、そのときの自分を受け入れることです。股関節が固い自分を受け入れれば、その固い自分の中で感じられる何かがあると思います。固い人は固い人なりに、やわらかい人はやわらかい人なりに、ヨーガをやることに何ら変わりはありません。その人が動ける範囲で、ただ動くだけですから。「できる、できない」「開く、開かない」「手が届く、届かない」などにとらわれてしまうと、そこから先へはとても行きにくい。人との比較でなく今の自分を受け入れること。これ自体がヨーガの実践の一つです。実際、体を動かすことよりも難しいプラクティスですね。もちろん、書いている私も自分に言い聞かせているようなものです。さて、この本は最後まで読めるかな?